ソ連によるこうした動きは、それまで同国の支配下に置かれてきた東ヨーロッパ諸国において、共産主義体制の過酷な抑圧からの解放を求める声が高まる流れをもたらしました。
例えば、スターリン批判が行われた同じ1956(昭和31)年には、ハンガリーで政治的自由化を求める改革運動が起こりましたが、東欧諸国の自由化の波が拡大することを恐れたソ連が軍事介入を行って弾圧しました。これを「ハンガリー動乱」といいます。
また1968(昭和43)年には、チェコスロバキア(現在のチェコとスロバキア)で政治や経済の自由化への改革が行われましたが(これを「プラハの春」といいます)、ソ連などのワルシャワ条約機構軍が軍事介入を行って強引に鎮圧しました。
これら一連の事件は、いわゆる「スターリン批判」後も、ソ連による共産主義に基づく東欧の支配が軍事力による一方的かつ抑圧的なものであることを世界中に認識させるとともに、国際的な非難を浴びたソ連の影響力を次第に低下させる流れをもたらしました。
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