その後、1954(昭和29)年のジュネーヴ国際会議で「インドシナ休戦協定(=ジュネーヴ協定)」が結ばれ、フランス軍がベトナムから撤退しましたが、北ベトナムは1949(昭和24)年に誕生したベトナム共和国(=南ベトナム)と北緯17度線を境界に分離されました。
一方、冷戦が続く中において連帯を強めたアジア・アフリカの新興独立諸国を中心として、1955(昭和30)年にインドネシアのバンドンで「アジア=アフリカ会議(=バンドン会議)」が開かれ、我が国など29か国が参加しました。
史上初の有色人種だけによる国際会議となったアジア=アフリカ会議では、反植民地主義や平和共存などの「平和十原則」が採択され、全世界に「第三勢力」としてのアジア・アフリカ諸国の存在と結束とを印象づけることとなりました。
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