要するに、傾斜生産方式は当時の我が国にとってベストな選択であったともいえるのですが、資材と資金を石炭や鉄鋼などの重要産業部分に集中させた実態は、社会主義政策に見られる「計画経済」そのものであるといえます。
実は、重化学工業では計画経済の方が良いこともあったのです。重化学工業の発展当時は、計画的に安く大量に生産した方が、国力が上がる傾向にありました。1920年代末から30年代前半にかけての世界恐慌時代に、ソ連(現在のロシア)が「五か年計画」を成功させたのもその例です。
1932(昭和7)年に成立した満州国の発展もソ連の計画経済を手本としていましたし、1933(昭和8)年にアメリカ大統領に就任したフランクリン=ルーズベルトは、社会主義的なニューディール政策を行いました。さらには、第二次世界大戦の頃までは物量勝負の全面戦争が中心だったこともあり、計画経済の全体主義が世界中で幅を利かせていたのです。
しかし、戦後の復興や冷戦の始まりによって、自由主義国家と社会主義国家の対立が激しくなると、やがてソ連が競争社会について行けなくなり、1991(平成3)年12月に崩壊(ほうかい)しました。なぜソ連は冷戦に敗れたのでしょうか。その理由は色々考えられますが、一つだけ述べるとすれば、同じものを機械的に大量生産するだけでは「新しい発想による技術革新」が不可能だったからです。
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