また、第3条や第8条については、この条文を入れることによって、蘇我氏にも「天皇への忠誠」や「役人の心得」を従わせることに成功しているだけでなく、それを破れば「憲法違反(といっても現代とは意味が異なりますが)」になることも意味しています。
冠位十二階と同様に、憲法十七条の制定によって、聖徳太子は蘇我氏による横暴や独走を抑え、後の中央集権国家の誕生へ向けての布石を確実に打っていたのです。
「いつまでも蘇我氏の思うままにはさせない」。政治家という職業には、時として誰にも負けないくらいの執念深さが必要なのかもしれません。
なお、聖徳太子は620年に「天皇記(てんのうき)」「国記(こっき)」などの歴史書を編纂(へんさん)しましたが、これらはチャイナなどの対外関係を念頭に、当時伝えられていた「帝紀(ていき、皇室の系譜)」や「旧辞(きゅうじ、神話伝説など)」をもとにつくられたとされています。
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