おそらくは蘇我氏も地団駄(じだんだ)を踏んで悔しがったことでしょう。それにしても、オモテの世界で堂々と大義名分を述べながら、ウラでは蘇我氏打倒のために色々と策謀(さくぼう)を練り続けるという、聖徳太子の優秀な政治家としての顔を垣間(かいま)見ることが出来るエピソードですね。
なお、冠位十二階によって当初は「大礼(だいらい、濃い赤)」の地位にいたある男性が、外交における活躍が認められ、後に最高位の「大徳(だいとく、濃い紫)」にまで出世した事実が伝えられています。
その男性こそが、後に遣隋使として大役を果たした小野妹子(おののいもこ)なのです。
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