また、外交面においては、何よりも大国である隋の実力を知ることが重要であると考えた聖徳太子は、600年に初めて遣隋使(けんずいし)を送ったほか、高句麗(こうくり)の高僧であった恵慈(えじ)などから東アジアにおける国際情勢を詳しく学びました。
ちなみに、恵慈は熱心な仏教徒であった聖徳太子によって、我が国で仏教を広めるために高句麗から招かれたのですが、仏教を学ぶことは当時の最先端の情報や技術を入手することにもつながりました。
こうして我が国の内政あるいは外交における立ち位置を正確につかんだ聖徳太子は、まずは内政面において大胆な改革を断行することになるのです。
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