朝廷における軍事力を担当していた物部氏に対して、蘇我氏は欽明天皇などの外戚(がいせき)となって財産権を握り、帰化人系の民族と交流して勢力を伸ばしました。なお、外戚とは自分の娘を天皇の妃(きさき)とすることで天皇の血縁者となることです。
やがて我が国に仏教が伝来すると、積極的に受けいれようとする崇仏派(すうぶつは)の蘇我氏と、禁止しようとする廃仏派(はいぶつは)の物部氏や中臣(なかとみ)氏との対立が激しくなりました。
天皇の後継者問題でも対立した蘇我馬子(そがのうまこ)と物部守屋(もののべのもりや)のあいだで587年に戦闘が起きると、これに勝利した蘇我馬子が朝廷の実権を独占しました。
なお、蘇我馬子は男性です。当時は「○子」という名前が男女を問わずに用いられていました。馬子の他に「○子」で男性の有名な歴史上の人物としては、7世紀の小野妹子(おののいもこ)が挙げられますね。
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