しかし、長年の「平和ボケ」に慣れ切ってしまった江戸幕府は、それまでの「島国の恩恵(おんけい)」が有名無実(ゆうめいむじつ)と化してしまっているにもかかわらず、かつての「島国の平和」が忘れられなかったのか、情勢の激変(げきへん)にも気づくことなく、いや、仮に気づいたとしても無視し続けていました。
その間にも、ペリーを乗せたアメリカの黒船は、着々と我が国に近づきつつありました…。
こうして我が国は世界の情勢に巻き込まれ、激動(げきどう)の時代を生き抜かなくてはならなくなりますが、ここから先の詳しい話は、いずれまた別の機会で取り上げたいと思います。
(第1回歴史講座の記事はこれで終了です。)




いつも有難うございます。
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ケンシロウ こんにちは。
日本にとってペリーの渡来は脅威でしたでしょうね。
でもこのおかげで島国の日本に色々な文化が伝わり
現在の日本と化したわけですから良かったと思います。
ヒロキ ペリー来航以前にも、
オランダ国王が開国勧告してきたり、
アメリカのビットルが来航し国交要求をしてきましたが、いずれも拒否していますね^^;
それだけペリーは強かったんですかね・・・。
さすらい こんばんは。
仰るように
「長年の「平和ボケ」に
慣れ切ってしまった江戸幕府」
だったんでしょうね。
出島で世界の様子は小耳に挟んでいても
「別にぃ」って思っていたかもしれません(笑)
ペリーでなくても世界の流れに
飲まれていた日本だと思います。
明治維新から弾ける日本へ向けて
結果的に良い時代背景だったのではないでしょうか。
大変興味ある講義でした。
応援♪
コメント有難うございます!
黒田裕樹 ケンシロウ様
ヒロキ様
さすらい様
ペリー以前もオランダ国王やビッドルなどが平和的に開国を勧告してくれたんですよね。ところが「平和ボケ」した幕府が木で鼻をくくったような回答をしたもんですから、アメリカが平和路線を捨てて、脅迫まがいで無理やり開国させたわけです。
一国が脅して成功すれば、他の国も我も我もと同じ内容の条約を結んでくる…ということで、我が国は多くの国と不平等条約を結ばされました。
開国という結果自体は我が国のためには良かったのですが、どうせ開国するなら、もっと利口なやり方があったはずです。それだけに、平和ボケゆえに後手後手の対応しか出来なかった江戸幕府の責任は重大です。
……「平和ボケ」の話は、江戸幕府に限ったことでしょうか?
こんばんは。
ことぶきのこめや GWにずっと外出していましたので、今まとめて読ませていただきました。
島国のおかげで、侵略されなかった奇跡の国というのと、朝鮮半島が防壁になっていたというのは、わかっていましたが、欧米列強が大型船で来襲するようになって、「どこからも攻められる丸裸の国」になったというのは、すごく面白かったです。
イギリスは、防御壁になってくれる半島の国が無かったため、侵略もされたし、帝国も築けたんですね。
いろいろ勉強になった講座でした!
ことぶきのこめや様
黒田裕樹 過分のお褒めをいただいて有難うございます。
今回のように、過去から現在までの「歴史の流れ」をしっかりつかまないと、なぜ鎌倉幕府がモンゴル軍を撃退できたのかとか、江戸幕府が開国を渋ったのかとかの本当の理由が見えてきません。
今の歴史教育はバラバラに教えますから、余計に暗記部分が強調されてしまうんです。これでは面白いはずがないですよ。
連休明けの講座から古墳時代が始まりますが、今まで教えたことと上手にリンクさせながら進めていくつもりですので、また是非ご覧下さい。
それにしても、イギリスと比較させるのも面白そうですね。
新説好き こんばんは。
マイブログのコメント欄にも書きましたが、コメントを頂いていたのに勘違いから返信していなくて、大変失礼しました。
失礼なヤツと思われていなければいいのですが。
島国環境が創った我が国の歴史、楽しんで読ませていただきました。
危機管理がなっていない今の日本を思うと、本当に島国でよかったんだか、悪かったんだかと思ってしまいますね。
たしかに平和ボケは江戸幕府のことだけではないですよね。
精神的には、ある意味今でも鎖国状態といっていいような状況もまだあると思いますし。
個人レベルでもそうですが、国レベルでもかごの鳥状態というのはあまりいい結果にはならないような気がします。
でもこれだけ飛行機網が発達しているのに、日本にインフルエンザがまだ入ってきていないことだけは、島国であるおかげなんでしょうけども。
新説好き様
黒田裕樹 ご無沙汰しております。
いえいえ、何らかの事情があるのではと思っておりましたので、あまりお気になさらないで下さい。
「平和ボケ」は確かに江戸幕府に限ったことではありません。私たちに果たして幕府を笑う権利があるのかどうかを真剣に考える必要があるかもしれませんね。
30日に行う予定の公開講座でも、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
インフルエンザの件は仰るとおりだと思います。陸続きだと今回のような「水際作戦」は不可能に近いですからね。
日本にとってペリーの渡来は脅威でしたでしょうね。
でもこのおかげで島国の日本に色々な文化が伝わり
現在の日本と化したわけですから良かったと思います。
オランダ国王が開国勧告してきたり、
アメリカのビットルが来航し国交要求をしてきましたが、いずれも拒否していますね^^;
それだけペリーは強かったんですかね・・・。
仰るように
「長年の「平和ボケ」に
慣れ切ってしまった江戸幕府」
だったんでしょうね。
出島で世界の様子は小耳に挟んでいても
「別にぃ」って思っていたかもしれません(笑)
ペリーでなくても世界の流れに
飲まれていた日本だと思います。
明治維新から弾ける日本へ向けて
結果的に良い時代背景だったのではないでしょうか。
大変興味ある講義でした。
応援♪
ヒロキ様
さすらい様
ペリー以前もオランダ国王やビッドルなどが平和的に開国を勧告してくれたんですよね。ところが「平和ボケ」した幕府が木で鼻をくくったような回答をしたもんですから、アメリカが平和路線を捨てて、脅迫まがいで無理やり開国させたわけです。
一国が脅して成功すれば、他の国も我も我もと同じ内容の条約を結んでくる…ということで、我が国は多くの国と不平等条約を結ばされました。
開国という結果自体は我が国のためには良かったのですが、どうせ開国するなら、もっと利口なやり方があったはずです。それだけに、平和ボケゆえに後手後手の対応しか出来なかった江戸幕府の責任は重大です。
……「平和ボケ」の話は、江戸幕府に限ったことでしょうか?
島国のおかげで、侵略されなかった奇跡の国というのと、朝鮮半島が防壁になっていたというのは、わかっていましたが、欧米列強が大型船で来襲するようになって、「どこからも攻められる丸裸の国」になったというのは、すごく面白かったです。
イギリスは、防御壁になってくれる半島の国が無かったため、侵略もされたし、帝国も築けたんですね。
いろいろ勉強になった講座でした!
今回のように、過去から現在までの「歴史の流れ」をしっかりつかまないと、なぜ鎌倉幕府がモンゴル軍を撃退できたのかとか、江戸幕府が開国を渋ったのかとかの本当の理由が見えてきません。
今の歴史教育はバラバラに教えますから、余計に暗記部分が強調されてしまうんです。これでは面白いはずがないですよ。
連休明けの講座から古墳時代が始まりますが、今まで教えたことと上手にリンクさせながら進めていくつもりですので、また是非ご覧下さい。
それにしても、イギリスと比較させるのも面白そうですね。
マイブログのコメント欄にも書きましたが、コメントを頂いていたのに勘違いから返信していなくて、大変失礼しました。
失礼なヤツと思われていなければいいのですが。
島国環境が創った我が国の歴史、楽しんで読ませていただきました。
危機管理がなっていない今の日本を思うと、本当に島国でよかったんだか、悪かったんだかと思ってしまいますね。
たしかに平和ボケは江戸幕府のことだけではないですよね。
精神的には、ある意味今でも鎖国状態といっていいような状況もまだあると思いますし。
個人レベルでもそうですが、国レベルでもかごの鳥状態というのはあまりいい結果にはならないような気がします。
でもこれだけ飛行機網が発達しているのに、日本にインフルエンザがまだ入ってきていないことだけは、島国であるおかげなんでしょうけども。
いえいえ、何らかの事情があるのではと思っておりましたので、あまりお気になさらないで下さい。
「平和ボケ」は確かに江戸幕府に限ったことではありません。私たちに果たして幕府を笑う権利があるのかどうかを真剣に考える必要があるかもしれませんね。
30日に行う予定の公開講座でも、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
インフルエンザの件は仰るとおりだと思います。陸続きだと今回のような「水際作戦」は不可能に近いですからね。