永享の乱の後の1440年には、持氏の遺児を擁(よう)して結城氏朝(ゆうきうじとも)らが挙兵しましたが、義教はこれらも滅ぼしました。この戦いを結城合戦(ゆうきかっせん)といいます。こうして鎌倉をも支配下に入れた義教の権力は絶対的なものとなり、古代の盟神探湯(くかたち)を復活させたり、些細(ささい)なことで激怒して死罪などの厳しい処断を下したりした義教に対して、周囲は「万人恐怖」と震(ふる)え上がりました。
義教にしてみれば、幕府や将軍の権威を高めるための当然の行為だったのですが、その余(あま)りにも強引な政治手法は、必然的に守護大名の反発を招くことになりました。そして、義教の恐怖政治は、かの織田信長と同じように、突然その幕を下ろす日がやってきたのです。
1441年、結城合戦の祝勝会を行うという名目で守護大名の赤松満祐(あかまつみつすけ)の屋敷に招かれた義教は、宴(うたげ)の最中に突如(とつじょ)として乱入してきた武者たちに取り押さえられ、有無を言わさずに首をはねられて殺されました。この事件は当時の年号から嘉吉の乱(かきつのらん)といいます。
赤松氏は幕府軍によって後に討伐(とうばつ)されましたが、義教の死によって幕府や将軍の権威は大きく低下し、二度と復活することはありませんでした。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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アクア もう最近全然わかんないです泣
とりあえず、
ランクリしときます。
ごめんなさい...
アクアさんへ
黒田裕樹 > もう最近全然わかんないです泣
このあたりは高校で初めて学ぶ範囲ですから、仕方がないですよ。
今後のためと思ってご覧下さいね(^^♪
> とりあえず、
> ランクリしときます。
> ごめんなさい...
いえいえ、ランクリ有難うございます!
.
ぴーち こんばんは!
昨日のコメントを撤回させていただきたくなるような、義教の悪政ぶりの驚愕しています^^;
「君子は三端を避く」
と言いたい所ですが、この時代ではそうも言っていられなかったのでしょうか・・。
応援凸
黒田先生
りら 義教が亡くなってほっと
しました
やはり 悪は永遠には続きません
正義はいつか報われると信じ
たいです
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 昨日のコメントを撤回させていただきたくなるような、義教の悪政ぶりの驚愕しています^^;
> 「君子は三端を避く」
> と言いたい所ですが、この時代ではそうも言っていられなかったのでしょうか・・。
確かに義教は現代から見てとんでもない人物と思われますね。
ただ、室町幕府の弱体化を避けるためには、恐怖政治であっても仕方がない一面もあるとは考えられます。
…とはいえ、やはり程度というものがありますよねぇ(^^ゞ
りらさんへ
黒田裕樹 > 義教が亡くなってほっと
> しました
> やはり 悪は永遠には続きません
> 正義はいつか報われると信じ
> たいです
確かに「勧善懲悪」は永遠のテーマですからね。
26日の講座でも紹介できるかもしれません。
.
オバrev 義教はまさに信長タイプですね。
こういう人物でないと、世の中を大きく変えることはできなんでしょうが、あまりに残虐だと、歪みも大きくて反感も大きくなりますよね。
ところで、三管領四職の中に赤松氏もいましたが、この守護大名赤松満祐はその一族ですか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 義教はまさに信長タイプですね。
> こういう人物でないと、世の中を大きく変えることはできないんでしょうが、あまりに残虐だと、歪みも大きくて反感も大きくなりますよね。
仰るとおり、義教と信長の共通点は多いですし、彼らだからこそ思い切った改革が出来たのですが、我が国では彼らのような政治は長続きしないんですよね。
> ところで、三管領四職の中に赤松氏もいましたが、この守護大名赤松満祐はその一族ですか?
そのとおりです。赤松氏はこの後一時復活しますが、結局は戦国の流れに埋もれてしまいます。
とりあえず、
ランクリしときます。
ごめんなさい...
このあたりは高校で初めて学ぶ範囲ですから、仕方がないですよ。
今後のためと思ってご覧下さいね(^^♪
> とりあえず、
> ランクリしときます。
> ごめんなさい...
いえいえ、ランクリ有難うございます!
昨日のコメントを撤回させていただきたくなるような、義教の悪政ぶりの驚愕しています^^;
「君子は三端を避く」
と言いたい所ですが、この時代ではそうも言っていられなかったのでしょうか・・。
応援凸
しました
やはり 悪は永遠には続きません
正義はいつか報われると信じ
たいです
> 「君子は三端を避く」
> と言いたい所ですが、この時代ではそうも言っていられなかったのでしょうか・・。
確かに義教は現代から見てとんでもない人物と思われますね。
ただ、室町幕府の弱体化を避けるためには、恐怖政治であっても仕方がない一面もあるとは考えられます。
…とはいえ、やはり程度というものがありますよねぇ(^^ゞ
> しました
> やはり 悪は永遠には続きません
> 正義はいつか報われると信じ
> たいです
確かに「勧善懲悪」は永遠のテーマですからね。
26日の講座でも紹介できるかもしれません。
こういう人物でないと、世の中を大きく変えることはできなんでしょうが、あまりに残虐だと、歪みも大きくて反感も大きくなりますよね。
ところで、三管領四職の中に赤松氏もいましたが、この守護大名赤松満祐はその一族ですか?
> こういう人物でないと、世の中を大きく変えることはできないんでしょうが、あまりに残虐だと、歪みも大きくて反感も大きくなりますよね。
仰るとおり、義教と信長の共通点は多いですし、彼らだからこそ思い切った改革が出来たのですが、我が国では彼らのような政治は長続きしないんですよね。
> ところで、三管領四職の中に赤松氏もいましたが、この守護大名赤松満祐はその一族ですか?
そのとおりです。赤松氏はこの後一時復活しますが、結局は戦国の流れに埋もれてしまいます。