現代語訳すれば「難波の碕に着こうとするとき、速い潮流があって大変早く着いた」となりますが、この一文は、神武天皇の一行が河内潟の狭い開口部から流入する潮流に乗って一気に潟内部に進入し、難波の碕に着いたことを物語っています。
こうした記述は、河内潟の時代でしか考えられません。なぜなら、河内湾の頃であれば現在の大阪府東大阪市付近での長髄彦(ながすねひこ)らとの戦い(詳しくは後述します)が海戦となってしまいますし、また河内湖になってしまえば、遠浅の湖面では軍船での上陸は厳しいうえに「速い潮流があって大変早く着いた」とはなりません。
ということは、神武天皇の東征は今から約3000~2000年前の河内潟の頃に行われたことになりますね。一方、日本書紀によれば神武天皇が即位されたのは今から約2680年前ですし、先述した長浜氏の見解においても約2090年前であり、いずれも河内潟の頃です。
つまり、神武天皇の東征は地質学的にもその正しさが証明されたことになるのです。
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