昭和20(1945)年8月8日に日ソ中立条約を一方的に破棄して我が国に侵攻したソ連は、アメリカに対して南樺太(みなみからふと)や千島(ちしま)列島全島、さらには北海道の北半分を自国に占領させることを要求しましたが、ポツダム宣言受諾後にソ連軍が千島列島の北東端に位置していた占守島(しゅむしゅとう)に攻め込んだ際に、樋口季一郎(ひぐちきいちろう)司令官の決断によって日本軍が勇敢に戦ったこともあり、認められませんでした。
しかしながら、もしソ連が自力で勝手に北海道を占領するなどの既成事実をつくってしまえば、いかにアメリカの強い意思表示があったとしても、それを覆(くつがえ)すことは難しかったでしょう。ただし、我が国は北海道こそ占領を免(まぬが)れたものの、南樺太と千島列島全島をソ連軍が不法に支配した状態がこの後も続くことになりました。
なお、大東亜戦争終結まで我が国の領土であった朝鮮半島は日本から分離されましたが、北緯38度を境界としてソ連軍が北側を、アメリカ軍が南側を分割して占領するかたちとなり、朝鮮の人々による自主的な独立は果たせませんでした。
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