このようにして、人々の間に権威を持つ統一者が現れるとともに、彼らの死後の墓も時代とともに大きく進化していきましたが、こうした流れが天皇のルーツになるとともに、全国各地に現在も見られる大きな古墳(こふん)につながっているのです。
ところで、縄文時代の墓に残っていた骨には人為的(じんいてき)に傷つけられた痕跡(こんせき)が見られないことから、当時の人々に大規模な争いが起きていなかったとされている一方で、弥生時代の人骨には首がない状態で葬られたり、全身に矢を受けた状態で見つかったりしています。
これは、先述のとおり農耕社会の成立によって軍事的な緊張が高まり、各地で激しい争いが起きていたからだと推定されており、またこのことが武器などに使用する金属器の発達をうながしたと考えられます。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史道場」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。