また、方形(ほうけい)の低い墳丘(ふんきゅう)の周りに溝(みぞ)をめぐらした方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)も各地でつくられ、後期には大規模な墳丘墓(ふんきゅうぼ)も出現しました。岡山県の楯築(たてつき)墳丘墓や山陰地方の四隅突出型(よすみとっしゅつがた)墳丘墓などが有名です。
この時期にこのような墓が現れた大きな理由は、弥生時代に本格化した水稲耕作において、人々との共同作業を必要としたからでした。
効率よく共同作業をやろうと思えば、一定のルール、すなわち秩序が必要であるとともに、川などから水を引いて水田を整えるなど、共同作業が大規模になればなるほど秩序が重視され、集落の中でもっとも優秀な人間がリーダーとして作業をひっぱることになります。
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