弥生初期の湿田は地下水位が高いことから水の補給を必要としないのですが、土壌(どじょう)の栄養が少ないこともあって生産性が低いのが欠点でした。一方、乾田は地下水位が低いので灌漑(かんがい)施設を必要とするのですが、用水の出入りを行うことによって土壌の質が良くなり、生産性が高まったのです。
乾田の開発によって、水田は湿田の頃のような小規模なものから整然と区画された大規模なものへと大きく変化していきました。静岡県の登呂(とろ)遺跡などで広大な水田跡が発見されています。
なお、農耕と平行して弥生時代にも狩猟や漁労が盛んに行われており、弥生時代の遺跡の中に骨が残っていたことから、意外にもブタの飼育が行われていた可能性が指摘されています。ブタは人間と同じ雑食であり、穀物(こくもつ)も食べるので、水稲耕作が発達した弥生時代には飼育が可能になったと思われます。
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