平成11(1999)年、岡山県岡山市の朝寝鼻(あさねばな)貝塚の土壌(どじょう)から発見された栽培種のイネの細胞化石が、いわゆる「プラントオパール分析法」によって今から約6000年前のものであることが分かりました。その後も30か所を上回る縄文遺跡からプラントオパールが発見されたことで、縄文時代において、すでに稲作が行われていたことが明らかになったのです。
もっとも、当時の稲作は焼畑(やきはた)耕作あるいは畑で栽培される陸稲(おかぼ、または「りくとう」)でしたが、佐賀県唐津(からつ)市の菜畑(なばたけ)遺跡などの出土物を「放射性炭素年代法(炭素14年代測定法)」などで測定した結果、日本列島で水稲耕作が行われたのが今から約3000年前(紀元前10世紀頃)であったことを、国立歴史民俗博物館の研究チームが平成15(2003)年に発表しました。
このことから、近年では縄文時代の終わりを紀元前10世紀頃とする説もあるようです。いずれにせよ、我が国の技術の素晴らしい先進性がうかがえる事実ですね。
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