その他にも網(あみ)を用いた漁も行っていました。また、丸木舟も各地で発見されており、八丈島(はちじょうじま)や伊豆諸島に渡るなどの航海術も身に着けていたようです。なぜなら、前述した島々にも縄文時代と見られる遺跡が残っているからです。
植物性食料としては、ドングリ・クリ・クルミなどの木の実や、ヤマイモなどの根茎類(こんけいるい)が主に採集され、木の実をすりつぶすには石皿やすり石が、根茎類を掘り起こすためには打製の石斧が使われていました。集められた食料は、集落の一角に設けられた貯蔵穴(ちょぞうけつ)に保存されました。
なお、縄文時代の晩期には水稲(すいとう)耕作(=水稲農耕)が行われた可能性が高いですが、これについては後述します。
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