魚類のほかにも貝類の採集が活発化しました。縄文時代の遺跡には、人々が食べた貝の貝殻(かいがら)などが堆積(たいせき)してできた貝塚(かいづか)が数多く残されています。貝塚からはクジラやイルカの骨が見つかっており、縄文時代の人々が共同生活を行っていたことが想定されました。なぜなら、クジラのような大きい動物をとらえようとすれば、多くの人々の共同作業が欠かせないからです。
また、縄文時代の代表的な貝塚として、明治10(1877)年に横浜に上陸したアメリカ人の動物学者であるモースが横浜から新橋へ汽車で向かう途中、大森(おおもり)駅を過ぎてすぐの崖(がけ)に貝殻が積み重なっているのを列車の窓から発見し、後に政府の許可を得て発掘調査を行った東京都の大森貝塚が知られています。
なお、後に研究結果をまとめたモースが、貝塚で発見された土器に縄目の文様がついていたことから土器を「cord marked pottery(=縄文土器)」と命名したのが、今日用いられる「縄文」の名前の由来です。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史道場」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。