また、植物の煮炊(にた)きや食物を貯蔵する目的で土器が用いられ始め、人々の食生活は格段に豊かになりました。この時代の土器は、厚手で黒褐色(こっかっしょく)のものが多く、また低温で焼いているためにもろいものが多いのが特徴で、その形も初期から後期にかけて大きく変化しています。
これらの土器は縄目の文様(もんよう)をつけているものが多いことから縄文土器と呼ばれました。縄文土器と磨製石器が使われた約16000年前から紀元前4世紀頃までを縄文時代といい、その文化を縄文文化と呼びます。
ちなみに、強い渋みのあるドングリなどの木の実や植物の根などは、いわゆる「あく抜き」をする必要がありますが、縄文時代の人々は早くからその技術を持っていたと推定されています。
なお、青森県の大平山元I(おおだいやまもといち)遺跡で平成10(1998)年に行われた発掘調査によって複数の土器片(どきへん)が見つかりましたが、この土器片を「放射性炭素年代法(炭素14年代測定法)」で調査した結果、今から約16500年前のものであることが翌平成11(1999)年に判明したことで、先述のとおり我が国の縄文文化における土器の技術が世界最古クラスであることが明らかになっています。
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