実は、戦艦大和の出撃は、我が身を棄(す)てても「沖縄防衛」を達成するという「特攻」の精神によるものでした。出撃の真意を知らされた際に「初めは顔が真っ青に、しかしすぐに『よし、やってやる!』と真っ赤になった」という乗組員の証言が残されています。
戦艦大和に航空機による護衛がなかったのは事実であり、そうである以上は「本当の使命」が達成できる可能性がゼロに等しいものでしたが、それが分かっていたからこそ、沖縄の人々を一人でも多く守るという崇高(すうこう)な使命を帯びて、戦艦大和は一縷(いちる)の望みをかけて「特攻」を行い、そして壮絶な最期を遂(と)げたのです。
戦艦大和の撃沈後、沖縄戦は本格的な戦闘となり、アメリカ軍の攻撃によって一般県民を含む多くの死傷者を出した末、6月22日の攻撃を最後に守備隊が全滅しました。沖縄はアメリカによって占領され、昭和47(1972)年まで我が国に返還されなかったのです。
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