日本陸軍は制空権を失った状況の下で懸命な指揮を執り、一般県民の防衛隊も兵力に加えた守備隊が軍民一体となって、上陸したアメリカ軍と激しい戦闘を続けました。
また多数の神風特攻隊が出撃したほか、潜航艇(せんこうてい)も「人間魚雷」などの特攻隊としてアメリカ艦隊に大きな損害を与え、さらには沖縄を助けるべく、戦艦「大和(やまと)」も衣服など多くの民需物資を積載して出撃しました。
しかし、戦艦大和は無念にも昭和20(1945)年4月7日に坊ノ岬沖(ぼうのみさきおき)においてアメリカ軍に撃沈(げきちん)され、3,000人余りの尊い生命が失われました。
ところで、戦艦大和の出撃に関しては、常識であった「航空機による護衛」がありませんでした。このことから「戦艦大和は無駄死にであった」と否定的にとらえる人が多いようですが、これは本当のことでしょうか。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史道場」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。