硫黄島の重要性を理解していた日本軍は、不充分ながらも武装と資材をかき集めて、短期間で防衛設備を構築しましたが、昭和20(1945)年2月19日に始まった戦闘では、島全体の地表が変形するほどの徹底的な艦砲射撃と空爆を受けました。
絶望的な情勢のなか、司令官であった栗林忠道(くりばやしただみち)中将の巧(たく)みなリーダーシップもあって、奇跡的な奮闘を重ねた日本軍でしたが、ついに刀折れ矢尽きて、同年3月26日までに守備兵のほとんどが玉砕(ぎょくさい)しました。
戦いに敗れた日本軍ではありましたが、死傷者の全体的な数は圧倒的に優位だったはずのアメリカ軍が上回っており、鬼神に勝る働きを見せる日本軍に対する恐怖を、アメリカ軍に嫌(いや)でも与えることになりました。
ただし、硫黄島を取られたことによって、アメリカ軍は日本本土への攻撃をより有利に展開できるようになったことから、この後に行われた「悪魔のような」本土爆撃が実現してしまったのです。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史道場」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。