なお、このような熱帯・亜熱帯地域の植民地において、奴隷や先住民の安い労働力を使って、世界市場に向けた単一の特産的農産物を大量に生産することを「プランテーション」といいます。プランテーションはその国が輸出によって外貨を得るための唯一の手段となりますから、仮に自然災害などによって農産物が不作になれば、経済が立ち行かなくなるという大きな問題を抱えています。
では、西欧諸国やアメリカによって行われた、プランテーションや奴隷制度に代表される一方的な植民地支配に対して、我が国は日韓併合後に朝鮮半島をどのように統治したのでしょうか。こういう場合、一番分かりやすいのは国内における総人口の違いを調査することです。なぜなら、もし我が国が朝鮮半島を植民地化して朝鮮の人々を強制的に労働させているのであれば、結果として人口が減少するのが当然だからです。
日韓併合後に我が国が朝鮮半島を統治するために置いた「朝鮮総督(そうとく)府」が記録として残した「朝鮮総督府統計年報」によると、併合した明治43(1910)年の朝鮮の人口は1,312万8,780人でした。一方、大戦末期の昭和19(1944)年では2,512万174人です。
わずか35年足らずで、朝鮮半島の人口が倍増しているのです。植民地化で朝鮮人が被害を受けているのであれば減っていてもおかしくないのに、逆に2倍になっているのはどういうことなのでしょうか。
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