茶道は豊臣秀吉や他の有力大名の保護を受けて大いに流行し、茶室の建築や茶器の発達をうながしました。なお、秀吉は天正15(1587)年に京都の北野(きたの)で身分の上下を問わずに民衆を自由に参加させた「北野大茶湯(おおちゃのゆ)」を行っています。
当時の庶民(しょみん)の娯楽(ごらく)では、17世紀初めに出雲阿国(いずものおくに)が京都で始めたかぶき踊(おど)りが「阿国歌舞伎(おくにかぶき)」としてもてはやされ、これがやがて「女(おんな)歌舞伎」となりました。その後、江戸時代に入って女歌舞伎が禁止されると、女優の代わりに少年が演じる「若衆(わかしゅ)歌舞伎」が流行しましたがこれも禁止され、男優だけで演じる「野郎(やろう)歌舞伎」となりました。
また、琉球(りゅうきゅう)から伝わった三線(さんしん)から創られた三味線(しゃみせん)が普及したことで、三味線を伴奏に人形を操って演じる人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)も始まりました。他にも堺の商人の高三隆達(たかさぶりゅうたつ)が小歌(こうた)に節(ふし)をつけた隆達節(りゅうたつぶし)が民衆の人気を集め、盆踊りも各地で盛んに行われました。
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