これらの事実を知れば知るほど、世界の歴史にも大きな流れがあり、それが我が国における歴史にすべてつながっていることがよく理解できますね。秀吉による朝鮮への出兵も、こういった世界史のレベルから見るべきだと私は思います。
さて、朝鮮出兵の失敗は結果として豊臣家による支配に大きな悪影響を与えましたが、それに加えて豊臣家には「後継者の不在」という致命的な欠陥(けっかん)がありました。
秀吉の正妻のおね(後の北政所=きたのまんどころ)との間には子がなく、甥(おい)の秀次(ひでつぐ)を後継者に指名して関白の地位を譲りましたが、文禄2(1593)年に側室の淀殿(よどどの)が秀頼(ひでより)を産むと、実子に跡を継がせたいと思うようになった秀吉は、次第に秀次を遠ざけるようになりました。
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