加えて、秀吉は最近の国内の歴史学説においても「理解不能な最大の愚行」「晩年の秀吉が正常な感覚を失ったことによる妄想」などといった散々な扱いを受けており、さらには多くの歴史教科書で彼の行為を「朝鮮侵略」と断じています。
しかしながら、秀吉が朝鮮半島へ攻め込んだ本当の理由は「イスパニアへの対抗として明を先制攻撃しようと計画した際に、その通り道となることを朝鮮が拒否したから」であることを忘れてはいけません。可能性の有無はともかくとして、仮に朝鮮が我が国の「唐入り」に協力していれば、秀吉から攻められることはなかったでしょう。
秀吉の最終目標はあくまで「明の征服」であり、朝鮮半島そのものを侵略するという意図はなかったといえます。それなのに、秀吉の行為を「朝鮮侵略」と一方的に断定することは、秀吉の真意を見誤るのみならず、歴史的にも正しい表現とはいえません。従って、ここはやはり「朝鮮出兵」と表記すべきなのです。
また、秀吉に対する評価についても、朝鮮半島の人々の思いを受け止める一方で、世界史の原則である「ある民族にとっての英雄は、他民族にとっての虐殺(ぎゃくさつ)者(=戦争勝利者)である」という視点からも眺(なが)める必要があるのではないでしょうか。
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