一方の我が国ですが、兵力や鉄砲による火薬力こそは充実していましたが、外航用の大きな船を建造するだけの能力が当時はありませんでした。
これらの点に着目した秀吉は、イスパニアと我が国とが同盟を結んで両国が共同して明を征服し、戦後は明国内でのカトリックの布教を許す代わりにイスパニア所有の外航用の軍艦を売却してもらうという条件を示すことによって、外交によるイスパニアとの妥協を目指しましたが、武力による我が国の侵略を断念していなかったイスパニアに拒否されてしまいました。
進退窮(きわ)まった秀吉は、自分自身がイスパニアよりも先に明を征服してしまう以外に我が国が侵略から免れる方法はないと覚悟を決めました。まさに「やられる前に、やれ」。先述した数十万の兵力や鉄砲による強大な火薬力を投入すれば、我が国単独での大陸の征服も不可能ではないと考えたのです。
秀吉のこうした決断は、天下が統一されたことで今後の領土獲得の機会を失い、力を持て余していた兵士たちに好意的に迎えられました。古代マケドニアのアレクサンドロス大王や、モンゴルの英雄チンギス=ハーンがかつて挑んだ「巨大な兵力を持つ人間が当然のように行う」遠征という名の道を、彼らと同じように秀吉も歩み始めたのです。
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