しかし、秀吉は権益もあって南蛮貿易そのものを禁止することはできず、結果として禁教政策は不徹底に終わり、カトリックはその後も広まっていきました。
後に徳川家康がカトリックを信仰しないオランダやイギリスと交流を深めたことで江戸幕府とオランダとの交易が実現し、カトリックの信仰国であるイスパニアやポルトガルとの関係を完全に断ち切ることが可能となったことを考えれば、あまりにも大きな差でした。
なお、文禄(ぶんろく)5(1596)年にイスパニアの商船が土佐(とさ、現在の高知県)に漂着した際に、乗組員が世界地図を示して「イスパニアは領土征服の第一歩として宣教師を送り込んでいる」ことを誇ったという出来事があり(これを「サン=フェリペ号事件」といいます)、激怒した秀吉が京都の宣教師と信徒を捕えて長崎で処刑するという結果につながりました(これを「26聖人殉教」といいます)。
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