当時の我が国は銀の産出が豊富であり、秀吉はこれらの天然資源を活かして東アジアの諸国と積極的に貿易を行いました。また、この頃にはチャイナを支配していた明(みん)の国力が衰えており、世界情勢の変化を見抜いた秀吉は、我が国を中心とする東アジアの新しい秩序をつくることを視野に入れ、高山国(こうざんこく、現在の台湾)やゴアのポルトガル政庁、マニラのイスパニア(=スペイン)政庁などに服属と朝貢を求めました。
しかし、明の衰退に対して新秩序を構築していたのは秀吉だけではありませんでした。天下統一によって数十万の兵力や鉄砲による強大な火薬力を誇っていた我が国でしたが、その力を国内防衛のために使用するのか、あるいは攻められる前に先制攻撃を行うのか。
遠く西洋の巨大な王国との抜き差しならない戦いが、秀吉の目の前に迫りつつありました。
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