また、秀吉が天下を統一する頃までに京都や大坂・堺・伏見(ふしみ)・長崎などの重要都市や佐渡(さど)・石見(いわみ)・生野(いくの)などの鉱山を支配し、天正大判(てんしょうおおばん)などの貨幣(かへい)を鋳造(ちゅうぞう)しました。ただし、これらの貨幣は主に贈答用に使用されており、本格的な貨幣制度が確立するのは江戸時代に入ってからのことです。
信長の経済政策を引き継いだ秀吉は、天下を統一したことで関所の廃止を全国に及ぼし、一里塚(いちりづか)を築くなどして信長が進めてきた政策を完成させました。
豊臣政権は秀吉自身が独裁的な権力を握ることで成立しましたが、後には腹心の大名を五奉行(ごぶぎょう)として政務を担当させた一方で、有力な大名を五大老(ごたいろう)に任命して重要な政務を合議させるようになり、秀吉の晩年の頃までに確立しました。
ちなみに五奉行は石田三成(いしだみつなり)・浅野長政(あさのながまさ)・増田長盛(ましたながもり)・長束正家(なつかまさいえ)・前田玄以(まえだげんい)で、また大老は徳川家康・前田利家(まえだとしいえ)・宇喜多秀家(うきたひでいえ)・毛利輝元(もうりてるもと)・小早川隆景(こばやかわたかかげ)・上杉景勝(うえすぎかげかつ)で、隆景の死後に五大老と呼ばれました。
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