関白や太政大臣となったことで、自身が朝廷から全国の支配権を委(ゆだ)ねられたと見なした秀吉は、天正13(1585)年に諸国の大名に交戦停止を命じた「惣無事令(そうぶじれい)」を出し、これに違反したとして天正15(1587)年に九州の島津義久(しまづよしひさ)を降伏させました。
また、秀吉が天正15(1587)年旧暦9月に政庁兼邸宅として聚楽第(じゅらくてい、または「じゅらくだい」)を完成させると、翌天正16(1588)年旧暦4月に後陽成(ごようぜい)天皇が聚楽第に行幸(ぎょうこう、天皇陛下が外出されること)され、秀吉が天皇の御前で家康をはじめとする有力大名の前で自身への忠誠を誓わせました。
そして天正18(1590)年、秀吉は小田原(おだわら)の北条氏政(ほうじょううじまさ)を滅ぼし、伊達政宗(だてまさむね)らの東北の諸大名を降伏させたことで、ついに天下統一の事業を完成させたのです。
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