織田信長(おだのぶなが)の後を継いで天下統一を果たしたのは、信長の家臣であった豊臣秀吉(とよとみひでよし、別名を羽柴秀吉=はしばひでよし)でした。信長の血を引く後継者や多くの家臣が存在したなかで、なぜ秀吉が天下取りに名乗りを挙げることができたのでしょうか。その謎を探るためにも、まずは彼の生い立ちから振り返ってみましょう。
豊臣秀吉は天文(てんぶん)6(1537)年に尾張中村(おわりなかむら、現在の名古屋市中村区)で生まれたとされていますが、若い頃に実家を飛び出すと、やがて「木下藤吉郎(きのしたとうきちろう)」と名乗って信長の配下となりました。
始めは信長の小者(こもの、使い走りや雑用係のこと)として仕えていましたが、草履(ぞうり)取りとして極寒の中で信長の草履(ぞうり)を自らの懐(ふところ)の中に入れて温めていたというエピソードで知られるような、彼の「人たらし」たる魅力が信長の目に留まりました。
やがて秀吉は、美濃(みの、現在の岐阜県南部)の墨俣(すのまた)において誰もが失敗していた築城を現地の土豪の協力を得て短期間で完成させたといったような、非凡な才能による迅速な仕事ぶりが信長の歓心を買ったことで、常識破りの出世街道を歩んでいきました。
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