昭和19(1944)年に入ると、学徒出陣で徴兵されなかった学生・生徒は軍需工業に動員され、高学年の生徒の男女を問わない深夜作業も許可されました。そして昭和20(1945)年3月には決戦教育措置要綱が定められ、国民学校初等科を除いたすべての学生・生徒の授業が停止され、学徒勤労総動員の体制がとられました。
学徒出陣や学徒勤労動員が行われた背景には、大東亜戦争における戦局の悪化による人材不足がありました。男子の多くが出征(しゅっせい)したこともあって女子挺身隊(ていしんたい)が結成され、兵役のなかった女子も未婚者が工場での生産に動員されました。
また、戦局の悪化でアメリカ軍による本土への空襲の危険性が高まると、政府は学童を保護するため昭和19(1944)年8月頃から大都市の学童を集団で地方へ疎開(そかい)させました。これを「学童疎開」といいます。
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