昭和19(1944)年6月にアメリカ軍がマリアナ諸島のサイパン島に上陸すると、日本軍は同月のマリアナ沖海戦に大敗するなど、圧倒的物量を誇るアメリカ軍の前に次第に追いつめられるようになりました。
そして7月7日には「今ここに米軍に一撃を加え、太平洋の防波堤としてサイパン島に骨を埋(うず)めんとす。勇躍全力を尽くして従容(しょうよう、危急の場合にも慌てて騒いだり焦ったりしないさま)として悠久(ゆうきゅう)の大儀に生きるを悦(よろこ)びとすべし。米鬼(べいき)をもとめて攻勢に前進し、一人よく十人をたおし、以て全員玉砕せんとす」との最後の命令を発して、指揮官が自決しました。
指揮官の命令を受けた我が国の将兵は、同日から8日にかけてアメリカ軍めがけて最後の突撃を敢行して壮絶な玉砕を遂(と)げ、多くの民間人も自決した末に、翌9日にアメリカ軍はサイパン島占領を宣言しました。
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