昭和18(1943)年11月5日、東條英機(とうじょうひでき)首相は大東亜新秩序の建設の方針を協議するため、アジア各地域の代表を東京に集め、世界史上初めて有色人種のみで行われた首脳会議でもあった「大東亜会議」を開催しました。
大東亜会議には東條首相の他に南京国民政府の汪兆銘(おうちょうめい)行政院長、満州国国務総理の張景恵(ちょうけいけい)、タイ首相代理のワン=ワイタヤコーン、フィリピン大統領のラウレル、ビルマ首相のバー=モウ、またオブザーバーとして自由インド仮政府代表のチャンドラ=ボースが出席しました。
大東亜会議において、各国は「お互いを尊重し、それぞれの民族が歴史や文化、あるいは伝統を活かしながら文化交流を深め、経済関係を強化することで相互に発展し、世界各国とも進んで仲良くすべきである」という内容の大東亜共同宣言を採択しました。なお、戦後の1960(昭和35)年の第15回国連会議で植民地独立宣言が決議されていますが、その内容は大東亜共同宣言とほぼ同じでした。
ところで、戦局の悪化につれて、中国大陸では日本軍が中国共産党のゲリラ戦に悩まされた際、我が国側から「三光作戦」と呼ばれた虐殺(ぎゃくさつ)を行ったり、また大陸戦線において毒ガスを使用したり、あるいは捕虜(ほりょ)の兵士を細菌の生体実験に利用したりしたという記載が歴史教科書に見られますが、これらはいずれも根拠もない捏造(ねつぞう)であることが明らかになっています。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。