そうなれば、アメリカはヨーロッパにまで手が回らなくなりますから、イギリスを援護することができず、イギリスはドイツの軍門に下った可能性が高いですし、アメリカも我が国と講和を結ぶしかなかったはずです。
ミッドウェー海戦は、結果として大東亜戦争のみならず、第二次世界大戦全体の分水嶺(ぶんすいれい)となりました。そして主力空母という物的資源や、少数精鋭のベテラン飛行士が戦死するなど人的資源を失ったのみならず、太平洋における制海権の確保が難しくなった我が国は、この大敗北を境目として劣勢に転じていくことになったのです。
大東亜戦争の緒戦における有利な段階で諸外国との講和の機会を逸(いっ)した我が国は、ミッドウェー海戦の大敗北をきっかけとして、次第に戦局が暗転するようになりました。昭和18(1943)年2月には、前年に上陸した西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島から、多くの犠牲者を出しながら撤退せざるを得なくなりました。
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