大東亜戦争の緒戦において苦戦続きだった一方で、航空機の活用が戦局を有利に導くと判断したアメリカは、圧倒的な国力を背景に、高速空母攻撃部隊の編成に力を入れました。
昭和17(1942)年4月18日、東京の東方海上1,200kmの太平洋上の航空母艦(=空母)ホーネットからアメリカB25爆撃機16機が飛び立ち、東京・名古屋・神戸を爆撃した後にチャイナの基地へと逃げ込みました。これを「ドーリットル空襲」といいます。
それまでハワイやフィリピン、あるいはインドネシアの海上決戦において、我が国に連戦連敗だったアメリカにとっては、ドーリットル空襲の成功は溜飲(りゅういん)を下げたかたちとなりましたが、本土を空襲された日本海軍の衝撃は大きいものがありました。
屈辱(くつじょく)を味わった日本海軍は、ハワイ諸島の西にあり、アメリカ海軍の中継基地となっていたミッドウェーを攻撃することにしました。いわゆる「ミッドウェー海戦」の始まりです。
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