しかし、妹の婿(むこ)であり、絶対的な信頼を寄せていたはずの浅井長政の裏切りにあってからは、信長の人格が大きく変化していったと考えられるのです。例えば、浅井長政を滅ぼした後に、父の浅井久政(あざいひさまさ)や朝倉義景とともに、そのドクロを漆塗(うるしぬ)りにして金粉をまぶした薄濃(はくだみ)にして、それらを肴(さかな)に酒を飲んだ、という記録が残っています。
先述の比叡山延暦寺の焼打ちや一向一揆に対する皆殺しも、結果的には仕方がなかったとはいえ、信長の「敵に対しては容赦なく牙(きば)をむく」考えの延長線上にあったことは否定できないでしょう。
こうした信長の姿勢は、自らを神としただけでなく、天下統一が近づいて自分に正面切って敵対する人間が少なくなった1570年代の後半からより顕著に、そしてよりエスカレートしていきました。古今東西の絶対的な権力者の誰しもが陥(おちい)りがちな「独裁者の罠(わな)」に、信長もはまってしまったのです。
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