安土城の天守閣は、他の城とは違って「天主」と呼ばれていました。これは当時のキリスト教の別名であった「天主教」にもつながり、天主に存在する信長は神の生まれ変わりであると考えることもできます。
また、信長が完成した安土城に入城するのは天正7(1579)年旧暦5月11日ですが、この日は信長の誕生日であると考えられており(12日説もあります)、誕生日を祝して入城するという姿勢は、イエス=キリスト生誕の日であるクリスマス(12月25日)を祝う習慣にもつながっています。
さらに、安土城の上層には釈迦如来(しゃかにょらい)の図が描かれていたと伝えられており、その上の「天主」に存在する信長こそが、あらゆる仏や神を超えるものとして信仰の対象にしたとも考えられているのです。
「信長が自己を神として祀るように宣言した」という間接的な証拠は、実はもう一つあります。それは徳川家康の死後の扱い方です。
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