これが有名な「長篠合戦」です。この戦いで多くの精鋭を失った武田家は没落の一途(いっと)をたどり、天正10(1582)年旧暦3月に信長によって滅ぼされてしまいました。
武田家を破った信長は、天正4(1576)年から近江の安土(あづち)に五層七重の壮大な安土城を築き始めました。天正7(1579)年に城が完成すると、信長はそれまでの居城であった岐阜城を長男の織田信忠(おだのぶただ)に譲って、自らは安土城へと移動しました。
ところで、新たにつくられた安土城はそれまでの築城の常識を大きく変えるものでもありました。なぜなら、山城(やまじろ)と呼ばれた従来の城は、敵に攻められにくいように山の頂上に建てるのが普通だったからです。しかし、安土城はそれほど高くない山に建てられていました。これを平山城(ひらやまじろ)といいます。
なぜこの時期に城の建築方法が大きく変化したのでしょうか。
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