地元の農民にとって唯一ともいえる財産は、彼らが所有する田畑でした。農民は田植えや稲刈りなどのいわゆる農繁期(のうはんき)には、当然田畑に釘付けになりますよね。
ということは、仮に戦国大名自身の領地が広がったとしても、まさか農民の田畑を動かすわけにはいきませんから、農民自身もそう簡単に移動させることができなかったのですが、信長にはそれが可能だったのです。なぜでしょうか。
実は、信長の兵力は「兵農分離(へいのうぶんり)」された戦争専門の傭兵(ようへい)が中心だったのです。傭兵は命がけで最後まで戦う農民兵とは違って、形勢が不利と判断すれば逃亡することも多かったことで、兵力そのものは弱かったのですが、それを補って余りある「一年中戦える」という強みを持っていました。加えて、傭兵は農民兵のように田畑を持っていないことから移動の自由があり、それゆえに戦国大名が本拠地を移しやすいという長所も持っていたのです。
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