当時の今川氏は三河から遠江(とおとうみ、現在の静岡県西部)、さらには駿河と広大な領地を持っていたのみならず、これらの地域は気候が温暖で収穫も多く、海の幸にも恵まれ、さらには金山もあるという、経済力豊かな「おいしい」場所でもありました。
通常の戦国大名であれば、何も考えることなくこれらの領地を狙うことでしょう。しかし、実際には信長は「おいしい」領地には目もくれず、三河の徳川家康(とくがわいえやす、前名を松平元康=まつだいらもとやす)と同盟を結び、家康に今川氏の領地侵攻を任せたうえで、自らは美濃の攻略を目指しているのです。
なぜ信長はこのような手段を選んだのでしょうか。実はこの選択こそが、信長が描いていた「天下統一へ向けての明確なビジョン」だったのです。
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