家臣からは籠城(ろうじょう)を勧める意見もありましたが、信長は動きませんでした。しかしその後、今川軍の攻撃開始を聞くと信長はすぐさま出陣し、熱田(あつた)神宮で戦勝祈願を行いました。
実は、信長は家臣からもたらされる「ある情報」を待っていたのです。そして、その情報こそが、圧倒的に不利と思われた情勢を一気に逆転できる唯一の手段でもありました。
やがて、信長に待望の「情報」がもたらされました。義元が窪地(くぼち)で身動きの取りにくい桶狭間(おけはざま)を行軍中だというのです。これを好機と見た信長は、ほぼ全軍を桶狭間に向かって突撃させました。折からの豪雨で視界の悪かった今川軍は、信長の奇襲に大慌(あわ)てとなり、体勢を立て直すことができないまま義元が信長の家臣に倒され、首を取られてしまいました。
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