そんな中、応仁の乱から約1世紀を過ぎた頃に初めて天下統一の意思を明確にし、なおかつその実現に一生をかけて挑んだ人物が現れました。もちろん「織田信長」のことです。
さて、信長の出身である織田家はもともと尾張の守護大名であった斯波(しば)氏の代理人である守護代の家臣という身分でしたが、父である織田信秀(おだのぶひで)の頃には独立し、尾張の中で大きな勢力を持つようになりました。
信秀の急死後に若くして家督(かとく)を継いだ信長は身内を含めた争いに勝ち抜き、永禄2(1559)年には尾張一国を統一するまでに成長しましたが、そんな彼に大きな試練が不気味な足音とともに東の方角からやって来ました。
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