当時のイスパニアとポルトガルとの間には、15世紀末の1494年に大西洋を東西に分ける一本の線が引かれ、この線から東側で発見されるものはすべてポルトガルに、西側で発見されるものはすべてイスパニアに属するという取り決めがカトリックのローマ教皇(きょうこう)の承認によって結ばれました。これを「トルデシリャス条約」といいます。
地球をまるで饅頭(まんじゅう)を二つに割るかのような、ある意味とんでもない発想ですが、これは当時の白人至上主義による人種差別に基づく当然の思想でもありました。そして両国は条約の取り決めを守りながら着実に植民地化を進め、その過程で南アメリカ大陸西側にあったインカ帝国や、メキシコ中央部にあったアステカ帝国という二つの国が滅ぼされ、国民の生命や財産さらには文化が永遠に失われてしまうという悲劇が生じていたのです。
一方、当時の東アジア地域では、明が倭寇(わこう)の鎮圧や密貿易の禁止のために海禁政策をとっていましたが、実際には明以外にも我が国や朝鮮・琉球(りゅうきゅう)・安南(あんなん、現在のベトナム)などの人々が幅広く中継(なかつぎ)貿易を行っていました。ヨーロッパ人による東アジアの進出は、これらの中継貿易に参加することで莫大(ばくだい)な権益を得ようとする目的もあったのです。
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