甲斐(かい、現在の山梨県)では守護大名だった武田(たけだ)氏がそのまま戦国大名となり、武田信玄(たけだしんげん、出家前の名は晴信=はるのぶ)が信濃(しなの、現在の長野県など)に進出すると、謙信と信玄は北信濃の川中島(かわなかじま)で何度も激突しました。いわゆる「川中島の戦い」です。
東海では、守護大名の流れをくむ今川義元(いまがわよしもと)が駿河(するが、現在の静岡県東部)を本拠として勢力を拡大したほか、三河(みかわ、現在の愛知県東部)の松平(まつだいら)氏や尾張(おわり、現在の愛知県西部)の織田(おだ)氏、美濃(みの、現在の岐阜県南部)の斎藤(さいとう)氏らが存在しました。
中国地方では守護大名の大内(おおうち)氏が強大な力を持っていましたが、天文(てんぶん)20(1551)年に大内義隆(おおうちよしたか)が家臣の陶晴賢(すえはるかた)に倒されると、その晴賢を安芸(あき、現在の広島県西部)の国人(こくじん、地方豪族のこと)出身の毛利元就(もうりもとなり)が天文24(1555)年に滅ぼし、山陰を支配する尼子(あまご)氏と激しく争いました。
この他、四国では長宗我部(ちょうそかべ)氏が、九州では大友(おおとも)・龍造寺(りゅうぞうじ)・島津(しまづ)の各氏が、また東北では伊達(だて)氏らが有力な戦国大名として君臨しました。
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