応仁の乱を経て室町幕府の権威は有名無実と化し、幕府の実権をめぐって内部の権力争いが激化しました。幕府の実権は、当初は管領(かんれい、将軍を補佐して幕政を統轄する役職のこと)の細川(ほそかわ)氏が握りましたが、細川晴元(ほそかわはるもと)が執事(しつじ)の三好長慶(みよしながよし)の台頭を許し、その長慶も家臣の松永久秀(まつながひさひで)に取って代わられました。
一方、守護大名も京都で幕政を担当している間に守護代(しゅごだい)や家臣に実権を奪われたことで、その多くが没落していきました。名門や旧家が滅びる一方で、まさに下剋上(げこくじょう)の名のもとに、新興勢力が全国各地で続々と誕生しました。いわゆる「戦国大名」のことです。
戦国大名は、自己の実力によって獲得した領国(りょうこく、別名を分国=ぶんこく)を統治しました。戦国大名が活躍した、応仁の乱から室町幕府が滅亡するまでのおよそ100年間を「戦国時代」といいます。
ちなみに、松永久秀は主君の三好長慶を裏切ったのみならず、永禄(えいろく)8(1565)年には13代将軍の足利義輝(あしかがよしてる)を暗殺し、さらに永禄10(1567)年には東大寺(とうだいじ)に放火して大仏殿が焼け落ちるという大惨事を引き起こしたと伝えられており、戦国時代きっての梟雄(きょうゆう、残忍で強い人物のこと)と呼ばれています。
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