こうした事態を打開するためには、イギリスの要請を受けて第二次世界大戦に参加し、戦争がもたらす様々な特需によって経済を発展させるしかないとルーズベルト大統領は考えましたが、当時のアメリカは伝統的に「孤立主義」であり、他国の戦争に介入することを嫌っていました。
反戦ムードに満ちた国内の雰囲気を察したルーズベルト大統領は、自らの本音を封印して「攻撃を受けた場合を除いて絶対に戦争はしない」と公約し、1940(昭和15)年に三選を果たすと、イギリスなどと連携して日本を挑発し、先制攻撃をさせることで、アメリカがヨーロッパ戦線に参加できるように仕向けました。
ありとあらゆる工作や謀略を行ったルーズベルト大統領は、最終的にハル・ノートを突き付けることによって日本に真珠湾攻撃をさせるとともに、現地の司令官に情報を流さなかったりしたことでわざと日本を勝たせ(るように見せかけ)て、空母や最新鋭の軍艦を事前に真珠湾から脱出させることで、実害を最小限に食い止めました。
こうしてアメリカの第二次世界大戦への参加の大義名分をつくり出したルーズベルト大統領は、日本大使館の怠慢で国交断絶の通告が遅れたことも最大限に活用して「リメンバー・パールハーバー」のプロパガンダを完成させ、彼の予想どおりに戦争特需が起きて、アメリカ経済は劇的な回復を遂(と)げたのです。
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