まず真珠湾攻撃の以前、アメリカがハル・ノートを我が国に通告した直後に、真珠湾を母港とする2隻(せき)の航空母艦(=空母)すべてが、本国の命令によって新鋭艦を伴って出港しました。この結果、真珠湾に残った軍艦は、そのほとんどが第一次世界大戦以来の旧型艦しかなく、しかも空母が存在しないという状態となってしまっていたのです。
またアメリカは、暗号の解読によって、我が国の開戦決定と真珠湾攻撃の予定日を事前に知りながら、極めて重要なはずのその情報をハワイに知らせるのを遅らせたため、現地の太平洋艦隊司令官が実際に情報を受け取ったのは、真珠湾攻撃が終わってから何と6時間以上も経ってからでした。
真珠湾が攻撃された昭和16(1941)年12月7日(現地時間)は日曜日だったため、何も知らされていない現地の司令官は当日にゴルフを楽しむ予定だったと伝えられています。この事実は何を意味しているのでしょうか。
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