ところが、日本大使館の職員が、同僚の送別会を行うために総出で引き上げてしまったことで、国交断絶の通告たる「対米覚書」の解読が遅れてしまったのです。対米覚書は現地時間の12月7日午後1時にアメリカに手渡さなければならなかったのですが、解読に手間取った大使館側は、アメリカに対して独断で「約束の時間をもう1時間延ばしてほしい」と頼み込んでしまいました。
言うまでもないことですが、大使館側の身勝手な都合が、はるか遠くで攻撃の準備を進めていた連合艦隊に伝わるはずがありません。結局、大使館側が対米覚書をハル国務長官に届けたのは同日の午後2時20分であり、真珠湾攻撃が終わってから約1時間も経ってからのことでした。
かくして、日本大使館員の常識外れの怠慢(たいまん)によって、真珠湾攻撃が我が国による「奇襲」とみなされるとともに、フランクリン=ルーズベルト大統領が「奇襲攻撃後に断交通知を持ってきた日本ほど、卑劣(ひれつ)で悪辣(あくらつ)な国はない」と喧伝(けんでん、さかんに言いふらすこと)するなど、日本側の大失態を最大限に利用する流れをつくってしまったのです。
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