なかでも日明貿易で莫大(ばくだい)な利益を上げていた周防(すおう、現在の山口県東部)の大内氏が有名であり、本拠地の山口では儒学や和歌などの古典の講義が行われたり、書籍の出版がなされたりするなど、さながら京都の文化がそのまま移動してきたかのような繁栄ぶりでした。
その他にも、九州では五山僧(ござんそう)のひとりである桂庵玄樹(けいあんげんじゅ)が肥後(ひご、現在の熊本県)の菊池(きくち)氏や薩摩(さつま、現在の鹿児島県西部)の島津(しまづ)氏に招かれて朱子学(しゅしがく)の講義を行い、後の薩南学派(さつなんがくは)の基礎となりました。また、土佐(とさ、現在の高知県)で朱子学を講じた南村梅軒(みなみむらばいけん)は、後の南学(なんがく、別名を海南学派=かいなんがくは)の祖となりました。
関東では15世紀中頃に関東管領の上杉憲実(うえすぎのりざね)によって「足利学校(あしかががっこう)」が再興され、全国から多くの禅僧や武士などの学徒を集めて高度な教育がなされたり、多数の書籍の収集が行われたりしました。
一方、この頃までには地方の武士の子弟を寺院に預けて教育を受けさせる習慣ができており、鎌倉時代の武家法である「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」や、生活全般の心得が記された「庭訓往来(ていきんおうらい)」などが教科書として用いられました。また、教育への関心は庶民の間でも高くなり、読み・書き・計算を学ぶとともに辞書である「節用集(せつようしゅう)」も刊行されました。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。